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第二号・2000年3月3日

鄙の宿の雛祭り
三月九日(木)〜十七日(金)
藤井寺市在住の佐藤禎三氏が所蔵する、
享保・寛永・明治時代の雛百体あまりと、
そのミニ調度品などを展示いたします。


■女将の風信帖2
■日々、出会い新たにー中谷健太郎
女将/ 湯布院には、五回行ってます。最初は八年前で、友だちへのお土産として、中谷さんの『たすきがけ』を三〇冊ぐらい買ってきました。ユーモアがありペーソスもあり、楽しいご本でしたね。それから『湯布院幻燈譜』にもとても感動しました。ともかく、お金をためて、一年に一回、旅をするならば湯布院へ行こうと。訪ねるたびに新しい発見をしますが、たとえば生活の中にあるものを、すぐ旅館に反映させていらっしゃること。自分のおうちでつくったジャムを出したり。それがすごいショックでした。
中谷/ そういわれると、非常に座り心地が悪い(笑)。しかし五回も来ていただいたというのは実にありがたいことだし、並々のことではないですね。自前のものを提供するのは、その他に手がないもんだから。加賀のように器もないし、銘菓の伝統もないし。それでいろいろやってますけど、まあ、楽しくなくはないんですよね。飽きもしない。日々、出会いが新ただから。旅館というのは、いつもシナリオなしで、いきなり舞台に出るような場面が続くわけでしょ。さあ、どういうふうに展開するのか。漫画のコマ取りみたいにピカピカやっているわけじゃないけれども、やはり何かが続いてくるのね。
女将/ 旅館だけではなく、町全体を出会いの場所としてつくられていますよね。ほんとに、みなさんイキイキしてて、若い人たちが湯布院に帰って働きたいというのが伝わってきました。女将さんたちも、一人ひとり個性があって、私たちのやり方とまったくちがうんですよね。
メギスの浜炒り
石川県は、メギスの漁獲高日本一(平成9年度)です。橋立港でも、かつては漁師たちが浜炒りをつくる姿が見られました。大鍋でメギスを煮て、汁を捨てたあとサッと炒る。加賀ならではの漁師料理です。
中谷/ たしかにね、みんな着物を着て、というんじゃない。湯布院の三女将にはそれぞれ個性がある。「玉の湯」の女将さんはお部屋に行ったりは絶対にしない。その代わり、調理場でチャカチャカして、夜中に従業員を送り出すと、朝四時ごろまで本を読んだり。「夢想園」の女将さんは、経営者としての技量もあり、細かいことは全部、支配人に任せている。観光協会の副会長や教育委員長もやってて、一言でいうと社会的であり、玉の湯の女将さんとは逆ですね。
女将/ それでいいんですよね。得意分野を尊重して、お互いに助けあってゆくところに湯布院の凄さを感じます。私たちのようにワンパターンじゃなくて。夏だったと思うんですが、玉の湯の女将さんがワンピースで打ち水をしてらして、それがとても新鮮に感じました。山代もそういうように変わらねばと思うんです。
中谷/ 玉の湯の女将さんなんて、着物を着たのを見たことがない。オレの結婚式の時ぐらいだよ。衣紋掛けをしょって出てきたみたいだったけれど。で、うちのは、お客さんをお迎えして、お付き合いをして、場合によっては東京なんかにも出かけちゃう。オレがだいたいそういうところに行くのはイヤだからね。町づくり運動にしたって、みんなバラバラ。だれかが正しいことを言って、みんながそれに賛成してというイメージがまったくなくて、みんな勝手なことをやっているわけ。時にはケンカもする。普通、完成していく過程で可能性を潰していくというのはよくあるんだけど、湯布院は完成もしないかわりに可能性も残っている、とは思う。それが女将さんたちの生き方にもあらわれているかもしれませんね。
中谷健太郎なかやけんたろう
湯布院・亀の井別荘代表
母親はできる人、というイメージのとてつもない人でね。料理もやるし歌もつくるし、とにかくオールOK。それで、イヤだなと。親父はできない人でね、ボーッとしてて。でも役立たずという場所をちゃんと死守しているんだ。だんだん年がいくにしたがって、母親のように取り仕切ってきた姿勢から、芒洋とお風呂に入って謡曲をうなっておしまい、という親父のように生きたいという思いが濃くなってくるんですよ。
永井朝子ながいあさこ
あらや女将
家族五人で二晩泊まりましたが、亀の井さんが満館で、ほんとに残念でした。そのころ、現社長の長男が家に戻るかどうかということで、すごく悩んでいました。それで、なんとしても湯布院を見せてあげたかったんです。自分がやりたいことがどういうものかを、少しはわかってくれるといいなと思って。
■私の加賀名所
■春の歌 鴨池観察館/出島二郎(プロデューサー・金沢在住)
旅に出る朝、鞄につめる書物に迷うことがある。そんな時は、たいてい苦い想い出を土産とするようだ。読む、読まないは別の問題で、その書物は旅の相棒に他ならないからである。そして私の場合、失敗した旅を慰めるのも、また書物である。今日は、高橋達明『鳥のいる風景』(淡交社)と八木雄二『鳥のうた』(平凡社)を開いている。机の前の狭庭には一本の薮椿があるけれど、まだヒヨドリはやってこない。蕾がしっかり開花すると、この鳥を「鵯」とした理由がよくわかる。上等の花の蜜を喰いつくして、枝々を渡り歩く姿は、すさまじいの一言だ。
この冬は、めずらしく二回も片野の鴨池観察館に出かけた。いずれも日本野鳥の会のレンジャーOさんの説明を受けて、マガモ、マガン、ヒシクイ、コハクチョウ、カワウなどを眺めて数時間を過ごした。望遠鏡と集音マイクで彼らの食事の風景を見ていると、まさに必死としかいいようがない。泥水に首を突っ込み、マコモの根を漁る。その姿は実に愛らしい。しかし、厳しい厳しいと思う。上空から、オオタカがいつ襲撃するかもしれないではないか。
Oさんからカモの不倫物語、ガンの純愛物語を聞く。外は暗くなってきた。カモは餌場に向かって飛び立ち、ガンは餌場から帰ってくる時がきた。「数千羽のカモが一度に飛び立ちますから、ぜひご覧になってください」というOさん。しかし、この日は見事にその言葉は裏切られた。十分、十五分、二十分……。カモの夜間飛行を一見するために、私と仲間たちは息をこらして待っているのに、ついにその時は来なかった。伝統の坂網猟もゼロだろう。
私たちは、クルマで宿に帰る。あらやまで約二十分。「今晩は鴨料理は出ないでしょうね」とR女史。
「出てきても、とても可哀想でダメ」とA女史。その夜、私たちは黙々と夕食を食べた。橋立漁港直送の冬の名物、ズワイガニとコウバコが出たのだ。カニづくしにもかかわらず、私はマコモの根を食べていた気がした。三月中旬、カモやガンは北の旅に出る。シベリアと加賀を結ぶ四〇〇〇キロの旅へ。彼らが去ったあと、鴨池をつつむ林ではホオジロやウグイスがさえずり始めるのだ。
■春の歌 鴨池観察館
加賀市片野町子二番地‐一 電話〇七六一‐七二‐二二〇〇
■坂網猟
カモが風に逆らって飛ぶ習性を利用した猟法。夕方、一斉にエサ場の水田に飛び立っていくカモの前方に、坂網を投げあげてからませ捕る。元禄時代から続き、片野地区では坂網以外の猟法は許されていない。

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