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第四号・2000年10月25日

十一月六日、
カニ漁が解禁となります。

北陸の冬の味覚の王者・カニの解禁は十一月六日。
七日には店頭に出ます。雄はズワイガニ、雌はコウバコガニ。
さしずめ雪に燃える恋人たちといえるかもしれません。
その真っ赤な色彩に、自然の豊かな造形力を感じます。


■女将の風信帖4
■不思議の旅・北大路魯山人ー梶川芳友
女将/ うちにも少しばかり魯山人の作品があって、それはとてもすばらしいと思いますね。でも、魯山人その人のことになると、よくわからないというのが本音なんです。イメージとしてはすごくわがままで、だからかえって美しく生きて、というのでしょうか。
梶川/
  ええ、傲慢で、不遜で、野蛮で、一言でいうと”悪漢魯山人“というのが世の中に知れわたっている魯山人像かもしれません。でも、ぼくは四十年間、魯山人を使ってきて、それはかなりちがうんじゃないかなと。実は、ものすごく繊細で、優しくて、正直で、本当のことしかいえなかったんじゃないかと。つまり、人に対してよりも、自分に嘘がつけなかった人のような気がする。人は簡単に騙せるんだけども、その嘘は自分にはわかるわけですから。
女将/
 その辺が不器用なんですね、うまく真意を伝えられないというか。また、同業者であれば、魯山人の才能に対する嫉妬心もあったかもしれませんよね。
梶川/
  それもあるでしょうね。で、あれだけハッキリものをいう人だから、どんどん敵みたいなものができていくんです。でも魯山人は敵をつくらないでおこうとは考えなかったと思います。有名な言葉で、「まだ大丈夫だ、褒められないから」というのがあるんですね。みんな、なんとか褒められようと、ものを創ったり、考えたりしているんだけど、魯山人が根本的にちがうのは、そこのところで褒められたらおしまいだ、と思っていた人かもしれないということ。たくさんの人が理解できるということで凄いことはあるんだろうか、と魯山人は思っていたんじゃないかな。
女将/
 短い言葉ですけど、非常に深くて、その意味を考えてゆくと怖くなります。でもたしかに、私たちが人の顔ばかり見て話をしているということへの烈しい批判がありますよね。
たくあんの古漬け煮
常連さんの中には「たくあんの煮たの、頼むわ」と、予約の時にご注文いただく方がいますので、古漬け用にたくあんを多めに漬けてもらっています。塩出しに丸1日、醤油とトウガラシで煮るのに丸1日かけてつくります。ふるさと煮とも呼ばれるように、味と匂いが懐かしいと喜ばれます。
梶川/   深いし、ある意味においては魯山人の言葉には毒があるんですよね。口当たりの良すぎることへの。本当は、その毒が大事だと思うんです。口当たりのいいことには理由は要らないんです。でも、毒のある言葉は、それはどうしてと問われた時に、こういうわけでと答えられなければ吐けない。だから、毒をいう方が大変だと思います。
女将/
 私たちの日常にも、そんなことはありますね。怖いけれども、ソレをいわれて、ハッと気がつくような言葉が。
梶川 それで先の深さということでは、ぼくもまだ理解できないところがあるんですよ。魯山人の不可思議さというか。それを早く乗り越えたいという思いはあるんだけど。だから、魯山人が産み落としていったものを使うとか見ることによって、その中に織り込まれているものを読み通していこうと、必死なわけです。それをどう読むかということは、全部、こっち側の問題ですからね。ぼくは、そのことのおもしろさに魅かれるというか、呪われているような。
女将/
 作品の中に、生い立ちから、品格から、みんな出てくるわけですね。魯山人に限ったことではないけれども。
梶川/
  周知のように、魯山人の器は、この世の中に何十万点とあるけれど、あなたはそれをどう読むんですか、それをどう使うんですか、という試験問題を、魯山人は残していった気がするんですね。魯山人の一番魅力があるとすれば、そこのところだと思うんです。また、魯山人は出版人としての一面も持っていたのではないかと。だから、『星丘』『独歩』『雅美生活』と、経済的困難にもかかわらず、次々と機関誌を執拗に出し続けてゆく。そこに自分の考えを知ってほしいという思いもあったんじゃないか。そうした愛すべき魯山人を、ぼくは追いかけているんですよ
梶川芳友かじかわよしとも
何必館・京都現代美術館館長
魯山人が大きくかかわった場所は、京都と鎌倉、それに金沢を基点とする北陸路。この三つの町の持つ意味があるような気がするし、それを魯山人は知っていた。北陸でいうと、魯山人が自分の眼、美に対する眼をつくった場所なんじゃないかな。その地域には、かなり優秀な所蔵家がいたんですね。山代へは金沢の細野燕台さんが手引きをしたと思うんです。そこで須田菁華との出会いがあって、焼物をはじめていくわけです。
永井朝子ながいあさこ
あらや女将
ハイカラな人で、早くに洋装して、山高帽にステッキ、外国から取り寄せた鉄のベッドで寝ていました。人の役に立つことが好きで、タクシーをひいたり上水道をつくろうと奔走したり。だから、きっと魯山人さんにしても、楽しい生活だったんじゃないかと思います。
■私の加賀名所
■実性院から/出島二郎(プロデューサー・金沢在住)
三十歳の夏、この道に入った。コピーライター、プランナー、エディターなど横文字の虚業についた。短期間にいくつかの職場を渡り歩いて、タウン紙の創刊編集長になった。その雑誌はまったく売れなくて、やがて廃刊となったのだが、修業時代には得難いメディアであった。私は発行人のオーナーに睨まれながら、好き勝手な特別企画を立て、取材にも出た。その記念すべき一本に「古社寺探訪」という連載物がある。能登に限定した構成だったが、数十ケ所の名刹を訪ねた。むろん、無名の無住の小寺もあった。
記念すべき、というのは、その企画の監修を金沢在住の歴史家・浅香年木先生(故人)にお願いしたからである。名著『日本古代手工業史の研究』(法政大学出版)でも知られる浅香さんは、学生時代に歩いた道を丹念に追いながら、的確な助言を与えてくれた。実際、どこの町や村に入っても、私は親切にされた。それ以来、私の旅には神社仏閣が定番になった。
大聖寺の町に行くと、実性院に行く。そして、しばしば、住職はもとより、境内にアトリエをもつフランソワーズ・モレシャンご夫妻とも歓談する愉しみが待っているわけだった。
実性院は大聖寺藩主の菩提寺(曹洞宗)であり、寺の背後の丘陵には、初代から十四代までの藩主の墓標が立っていて、十万石の威光を伝えている。ちなみに実性院というのは藩祖前田利治の諡である。
本堂も庭園もすばらしい。と書いて、格別に何かがあるというのではない。子細は割愛して、私には実性院の質実な風情が好ましい。威圧するものがない。祈りの時空の静かさがあるだけだ。この寺は、萩の名所として人気を集めているが、その花を外しても、旅の風を感じるには充分すぎると思う。そして今、ここを基点として、日蓮宗・曹洞宗・浄土宗の山寺をつなぐ「山の下寺院群」の散策コースの整備がすすめられている。
■実性院
加賀市大聖寺下屋敷町二九 電話〇七六一‐七二‐一一〇四

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